宇宙の消滅

神の使者

今「四旬節」呼ばれている季節です。

4月5日の復活祭までは、
神を身近に感じるように心がけ、
復活の前の40日間のイエスの断食にならい、
あらゆる面で控えめにする時期だといわれています。

この季節は祈りと断食に励む習慣が古くからあります。
伝統的には、肉、乳製品、魚(およびオリーブ油とぶどう酒)を
控えるというものですが、
そういう意味では、
この季節は、
「何かを我慢する」という否定的な印象を受けるかもしれません。
もっとも現代では、プロテスタントもカトリックも、
四旬節の断食はあまり熱心に行なわれなくなり、
施しや愛の業に強調点が移ってきているようです。

さて今日は、イエスの受難と磔について、
「奇跡のコース」の教えを分かりやすく説いている、
ゲイリー・R・レナードさん自身が語っている講話の内容を交えながら
お伝えすることにします。

奇跡のコースを理解するのに、
彼が書いた「神の使者」はとても参考になります。
どちらからというと、奇跡のコースを手に取る前に、
この本を「奇跡のコース」の手ほどきとして読むといいと思います。
原題は、‘The Disappearance of The Universe’
( 宇宙の消滅)です。
全然違いますね。

ミュージシャンの彼のところにある日突然
アーデンとパーサという神の使者が現れたのです。
何度も彼の居間のソファに現れて、
彼に未来の預言を伝えたり、
奇跡のコースを学ぶことなどたくさんアドバイスします。
アーデンとパーサは実際に現れては消えることを彼の前で何度もします。
それは彼らがレナードさんに、
現実は幻想であることを教えるためでした。
そこからも原題の‘宇宙の消滅’の方法を教えてくれる
本であると察することができます。

レナードさんは、これは作り話ではなく、
実際に幽霊のようではなく、ちゃんとした肉体を持って
彼らは現れたと講話の中でも語っています。

イエスの受難と磔を露骨にまで表現している映画が、
何年か前にありました。
メルギブソンが監督をして制作された
『パッション』(2004年)という映画です。
彼は聖書の中のイエスの磔について記述されている部分を、
すべて見逃すことなく映画で表現したので、
目を塞ぎたくなるほどかなり残酷なシーンが続きます。
あれほど残酷なシーンがいっぱいある映画なのに、
成人向きの映画ではなかったのですね。
子供を連れてその映画を見る親もたくさんいました。

映画館から出るときに親は子供に、
「イエス様はあれほど苦しまれて、
私たちのために犠牲になられたのだから、
あなたはイエス様のために何ができるの?」

キリスト教徒の親ならたいていは、
そのように子供たちに教えるはずです。

これはコースの教えからすると、
とても二元論的な見解です。
肉体とスピリットという分離を、
その時点でイエスはすでに超越していたはずです。

イエスはあのとき肉体にいたのでしょうか?

ここで、「マトリックス」の映画を参考にするとよいと、
私は思います。
マトリックスの‘There is no spoon’というシーンです。
「There Is No Spoon」は、
映画を観る人であればみんな知っている
「マトリックス」の中でのセリフです。
マトリックスには、
この肉体次元が幻想であるという現実を認識する
ヒントが散りばめられていますので、
奇跡のコース学習者には必見の教材です。

コースの教えは、
典型的なキリスト教の教えではなく、
仏教の禅や古代インドのヴェーダーンタ哲学に通じる、
二元性を超えた世界です。

コースの教えでは、
イエスは私たちのために犠牲になったとは教えていません。
「救済」は、マスターを含めて外の世界からではなく、
内なる世界のみ自らを救済できると説いています。

「外の世界のいかなるものも自分を救済できない」
「外の世界のいかなるものも自分に平和を与えてくれない」
「外の世界のいかなるものも自分の平和を邪魔するものはない」
「外の世界のいかなるものも自分を傷つけるものはない」
「外の世界のいかなるものも自分の心をかき乱すものはない」
と、コースは教えています。

あなたは宇宙です。
この宇宙を担当しているのはあなたです。
これは部分的に受け入れることではありません。
これを受け入れること自体が「救済」なのです。

コンシャスネス(意識)とスピリットを混乱してはならないです。
コンシャスネスは、
主観と客観に分離したエゴの領域です。
しかし、コースでは、
ワンネスであるスピリットの世界を選択するように
エゴを教育できると説いています。

つまり、エゴを消滅させようとするのでもなく、
克服するのでもなく、
エゴをあきらめるのでもないのです。
イエスの教えでいちばん偉大なのは、
愛と許しです。

「許し」と「愛」はコインの両サイドです。
許しというのは実に深い意味があります。
ただ単に誰かを許すというレベルではありません。
自分をどこまで許せるかです。
エゴを許すことです。

エゴをほどいてもとに戻すことがエゴへの教育です。
コースでは、それを「救済」と言っています。

誰かを批判する心があると、
反応するのではなく、ただ観察して流すようにして、
マインドにフォーカスし続けないことです。
それにしてもまだ「許し」ではありません。

思考も意識も自分ではありません。
完璧に神と一体であるスピリットが本来のあなたです。
自分がスピリットであることを知るには、
他もスピリットであることを観察することのみ知ることができます。
私たちが気づかない無意識を、
つまり、心の深いところに埋もれている罪の意識を見破り、
解放させる方法も、外に映る世界しかないのです。

無意識にしても内なる罪の意識がある限り、
輪廻転生のサイクルから逃れることはできません。

そう考えると、
残された人生学習しなければならないテーマが残っています。
そのために「奇跡のコース」は神からのギフトです。
宇宙を消してアセンションするためには、
ただボーと待っているだけでは何も変わらないのですね。

 

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